Omegavilleにて 公立探偵マタタビ 灰泥区奇談#1  ギズンの血は夜と同じ色で、セロの撃った弾が当たったかどうか、ここから見てもわからない。女の声で喚いているから当たったか、でもギズンたちは嘘吐きだ、コエもモジも、カオも、そして姿さえも。  このギズンはたぶんごみばこ。風上から、ギズンから、ピザとコーラと汗と精液の腐った匂い。マスク越しに強烈なこれも嘘だ。灰泥区にはナードしかいない。ナードの出すごみなんてどこでも同じだ。 「スペアだ」  セロは言ってトリガを引く。ヨルホの家系、妻子持ち、またたび煙草。  ずどん!  そして銃と薔薇の日々。  セロはマタタビの右腕だ、銃だ、ナイフだ、相棒だ、ヨルホの家系の癖に。あいつのことをまたたびのブローカーだと思ってたらしい。セロは重度のジャンキーだ、吸っても酔うことは無い、慣れだ、体質かも。  吸わなきゃ死ぬだけ、ずどん!  スペアも取れなかったな。僕の勝ちだ。  当の本人、責任者、我らが偉大なる公務員、悪運の王であるマタタビは車の屋根でツブれてる。ギズンに頭から突っ込んだ。匂いは三日は取れない、忘れない限り、ご愁傷。  重要なのは、触ラヌ神ニ祟リナシ。触ったら? 触られたら? ギズンは嘘吐きだ。信じなきゃいいだけだ。不器用なヤツだ、マタタビは、ヒゲも剃れない。  匂いが和らぐ。重い湿った空気が吹き込む。雨が降ったのは夕方だったか、雨音で眼を覚ましてからこっち太陽を見ていない。ともかくこれでマスクが脱げる、もう使い物にならないはずだ、僕にとっては。マスクを外す。  あぁ、いい気持ちだ。もう雨の匂いしかしない、洗われた路地裏の匂い。微かに潮のにおいが混じっているのはここが灰泥区だから。雨は嫌いだけど雨上がりは好きだ。 「くせぇからだな」  とは一発はずしたセロの言い訳。庁舎のビーグルども程ではないが鼻は利く、それが仇となる。二重のマスクも役に立たない、疑り深いと特に。信じたいものだけ信じてりゃいいんだ、どいつもこいつも。  セロにそう言う。 「自慢の鼻なのさ、俺が信じずに誰が信じる?」  そりゃそうだ。  ギズンは狩っても死体が出ない。穴の開いた(三つの穴だ、朝飯はセロの奢りだ)ごみばこをボスに出す気は無い。そこまで馬鹿じゃない。必要なのは証拠だ。  穴三つ?   セロが引きずってきたごみばこを覗く。一発当てた、貫通した、スペアを狙ってもう一発、当たってりゃ仕留めてた、最後に一発、最期の一発……。  ごみばこを逆さまにして揺する。セロが鼻筋にしわを寄せてしかめっ面、可愛い顔になるのに本人は気づいていない。湿って重くなったティッシュがどさどさ落ちてくる。そして、  そして?   ごとん  落下の違和感。ごみばこはごみばこの重さしかなかった。まるで手品だ、質量が突然現れ、落ちた。頭の軸がぶれる感覚、騙されている感覚。  妊娠してやがった。出産しやがった。さすがナードの子種だ、さすが、ごみばこを妊娠させるとは、さすが。  僕の足元でうずくまるものはぼろに包まった少女。ナード好みの展開だ。歳は僕と同じくらい、つまりは十三。そして暗がりで青く鈍く輝くのは彼女の髪。  青い髪。  髪の色までナード好みだ。 「ボーイミーツガールじゃねえのか、これ」  セロがにやにや尖った歯を見せながら言う。僕はごみばこの中にあるはずの弾丸がどこに消えたのかずっと考えている。  うずくまった青髪が呻きながらゆっくり頭を上げる。額を青い液体が流れている。髪の色を染めているのは分泌物であるらしい。眼をつぶったまま上げた顔は恐ろしく端正な顔立ち、どこまでも透き通るような肌。人形だと言われても信じられる。予想はついてた。誰かが望んだとしか思えない造形。  眼をつぶった彼女は僕の姿が見えているのか、何の恐れも無く握った手を伸ばしてくる。  僕は望まなかった。  僕はその精液の臭いの染み付いた手を払いのける。  彼女は眼を開け、溜まっていた青い涙が流れた。  彼女の手に握られていた9ミリ弾がちりん、と涼しげな音をたててアスファルトに跳ねた。    鈍重な倉庫郡が灰の積もってできた大地の上に広がる。灰の上に城は建てられない。みんなそろって背が低い建物ばかりなのでここの空は終都で一番広い。ときたま銀色の腹をこちらに見せた大型機がうるうると胞を呻かせて頭の上、手を伸ばせば届きそうなところを滑っていく。タンカーの汽笛が聞こえる。鐘の音が聞こえる。  大地を成す灰はごみと糞の副産物だ。終都の際限なく広がり続ける外縁部から運ばれてくる雑多なモノ、もの、物、そしてヒト。これら寿命の尽きた果てに最期に行き着く先は澱んだ湾に作られた棺桶。夢の島計画と政府が呼ぶそれは、満タンになった端から灰泥区になった。都市生態系の最底辺で密やかに漂う巨大で密度の低い平面が灰泥区。遠くから鐘の音が聞こえる。 「棺桶に蓋をしてるんだ」  僕は誰にともなく呟く。視線を落とす僕の眼には彼女の裸足のつま先が映る。もてあましている、地面に幾何学的な模様を描いている。鐘の音にあわせてぴく、と震える。  同じ平面の上で、政府の見た夢の上で、崩れやすく、雑草を異様な大きさに成長させる灰の上で途方にくれているのが今のマタタビ。歩いて歩いてようやく自販機をみつけた。曲がった鼻を啜り、鼻をごまかす為にコーヒーを啜る。コンビニなんてめったなものはない。外灯さえ疎らで。こんな時間でも内から出た糞、あるいは外から来た餌を積んだトラックは無機質に無神経に僕の歩く三十センチ脇を駆け抜ける。 「なぁ、嬢ちゃん。自分の名前くらい…」  青い眼は手の甲を眺め、彼女は指先をくるくるとねじ曲がった髪に巻きつけ、足の親指で石ころを転がし、再び落書きに専念する。自分が自分であるのを確認するかのように。  あるいは退屈。  マタタビは頭を抱える。 「言葉通じないのか? ガイジンか? パツキンの国から来たんなら難民って事ぁないだろうが」  髪の色はともかく、眼の色はその国のものだ。だけど彼女が纏っている襤褸は巨人が着ていたと思しきTシャツで、色と臭いからすると死装束を掘り出してきたのだろう。要するにごみくず。難民か、孤児か。観光客ではないことは確か。  そういうファッション?  「笑わせんな」 「保護でいいよ。連れて帰ろう」とセロ。 「腹減ったよ」  空気が震える。音にならない空気の振動。また飛行機が通る。もうこの場所は今日の活動を始めている。鐘の音が再び。そしてぴく、と震える彼女。僕は少し動きたくない、少なくとも日が昇るまでは。一番広い空での日の出が見たかった。  見せたかった? 違う、僕が見たかった。  何を、誰を? 自販機の光が彼女の顔をぼうっと白く、それはまるで幽霊のように浮かび上がらせている。日の光の下ではどのように映るか僕は考える。  マタタビは局に電話をかけ、セロは足元に吸殻の山を築き、僕は彼女がつま先で描いて完成させた幾何学模様をじっと見つめる。見つめるしかない。視線は上げない。上げると眼が合う。彼女が僕を見つめているのは知っている、背中のほうが熱いから。なぜ眼が合うのが嫌なのかなんてわからない。わかりたくもない。  声が  コトバがあった、僕にもわかるコトバが。いつの間にか幾何学模様の下に書かれたそれ。彼女は足の先からコトバを発する、文字を紡ぐ。  まだ  まだ?   完成しない  顔を上げると案の定彼女と眼が合う。彼女は笑っている。僕はその声を聴きたくない。