鬼ごっこ 〜始まり〜        アルアイ  例え話をしよう。  この世に在らざるもの。例えば神。例えば仏。それらは人間が勝手に生み出したもの。現在の人の心に当たり前のように存在している。しかし中には、心にも存在していないものが多い。例えば妖怪。例えば幽霊。幽霊は居るとも言われることがあるが、神や仏ほど絶対的ではない。  そして、この中に鬼も含まれる。鬼は本当に存在しないのだろうか。気づいていないだけでどこかに存在しているのではないだろうか。心の中か、もしくは本当に存在するのか。  これから語るのはそんな話──単なる例え話だ。  風が舞った。辺り一面の緑を波立たせながら吹き抜けるその風には濁りがない。純粋で、それでいて包み込むような優しい風だ。  優しい風は音も伴っていた。その音とは元気の良い、子ども達の遊び声。  音源は緑の海に開いた穴。そこには七人ほどの純粋な目をした子ども達が○を描いて、中心に各々が拳を突き出している。 「それじゃ、次だ。じゃ〜んけ〜ん……」  リーダー格の子どもが言った。声に合わせて全員が腕を振り上げる。 「ぽんっ!!」  振り下ろされる七本の腕。それぞれが自分の手と相手の手とを見比べる。わずかに生まれる静寂な時間。しかしそれもすぐに終わる。 七人の手はチョキ二人、パー三人、グー二人。つまりはあいこ。故に 「あ〜いこ〜で……」  再びリーダー格の子どもが言う。七人の誰もが次こそは勝つぞという目をしながらもう一度腕を振り上げる。 「しょっ!!」  勝ちたい意志が伝わるような力の入った手を各々が出す。再びのはかない静寂。手の確認の時間。 チョキ、チョキ、パー、チョキ、チョキ、チョキ、チョキ。つまりは 「姫沙(きさ)、次はお前が鬼だっ!」  リーダーは一人負けした少女を指さして言った。姫沙と呼ばれた少女は広げた自分の手の平とリーダーの顔を交互に見て 「う、うん……」  小さく頷いた。伏せられた顔は黒い前髪に遮られてよく見えない。けれど前髪の下から見える頬はほのかに赤かった。 「姫沙は足が遅いからな。誰か捕まえられるのか?」 「逃げるの簡単だね。鬼はずっと姫沙で、終わる頃には夕方になってるかも」  じゃんけんで勝った子ども達は笑いながら言う。姫沙は相変わらず顔を伏せたままだ。頬も真っ赤になっている。 「お〜にさん、こちら。手の鳴るほうへ〜!」  はしゃぎながら緑の海へと姿を消して行く六人の子ども達。残された姫沙の頬はまだ赤かったが、瞼を手で覆い 「い〜ち、に〜い、さ〜ん」  暗闇の中で数字を刻む。耳から六人の声と足音が遠退いて行く。 「し〜ち、は〜ち、きゅ〜う」  聞こえるのが、木々を駆け抜ける風の音だけになった。そして次の言葉で鬼は狩りを開始する。 「じゅう」  姫沙は顔を上げる。視界に映るのは緑の森。この森の中に六人の獲物が潜んでいる。捕まえればゲームは終わり。  ん、と口をつむって気合を入れてから姫沙は緑の海へと入って行った。  それは子どもの遊び、鬼ごっこ。  福岡県は飯塚市の宝満(ほうまん)山に小さな村がある。天蔵村(あまくらむら)。一面田畑が広がり、周辺は自然に囲まれた村だ。村には何十軒かの家と小学校と中学校と村役場があるだけ。そしてここも例外なく過疎化と高齢化と少子化が進み、人口も五百人程度にまで落ち込んでいた。廃村寸前の天蔵村だが、ここにはある伝承があった。 『鬼の住む村、天蔵村へようこそ』  遠い昔、この地に鬼が住んでいたという伝承。それが今もなお語り継がれており、いくつもの鬼関連の話が存在する。  だから、そんな看板を立てて村興しをしようとしたのだが、村は過疎化に歯止めをかけられていないというのが現状だ。  そんな村に一週間ほど前に新入りが来た。それも子どもが、だ。  新入りの名前は紫藤・姫沙(しとう・きさ)。小学四年生。両親と都会で暮らしていた。だが、理由あって天蔵村の祖父のもとへと預けられたという話だ。 「いい加減、わしに理由ぐらいを教えてくれないかね?」  広い座敷に置かれた長い長方形のテーブル。そこを境に向き合っている二人の影がある。 「……」  問われた方は答えずに、ただ正座をして下を向いている。問うた方はあぐらをかきながら腕を組み直す。明らかな威圧。どうやら問うた方が、立場が上のようだ。  答えない相手にさらに問いかける。 「答えたくないほどの理由なのかね? 紫藤さん」  紫藤と呼ばれた方は委縮しながらもようやく口を開いた。 「……はい」  一言。しかしそれで相手は納得したようだった。息を深く吐いてから紫藤の顔を真っ直ぐ見ながら言う。 「答えられないならば無理に答えなくてもいい。だが、村の長であるわしにはいつかでいいから話してくれ」  村長の言葉に紫藤は頷き 「孫にもまだ話していないことなんです。孫に話せるときが来たら村長にも話させていただきます。ですから、それまでは」  深々と頭を下げる紫藤。その姿に村長は溜め息をひとつ吐き 「突然あなたのお孫さんが引っ越して来て一週間だ。いらん噂も出てくるだろう。その事もよく考えておくんだな、孫を思うなら」  言って村長は席を立ち、襖の向こうへと行ってしまった。広い座敷に残されたのは姫沙の祖父が一人だけ。 鹿おどしの音がやけ大きく響き渡った。  緑の波を割って走る少女が居た。決して速くはないが一生懸命だ。 「はぁ、はぁ、はぁ」  時折立ち止まっては茂みや木の裏側などを覗いてみたりする。少女は今は鬼だ。鬼であることを求められている。  だから少女はそれを忠実に演じる。六人の獲物を狩るという役目を。  走る、走る、走る。まだ慣れていないこの樹海の中を走る。  前回鬼ごっこをやった際に足が遅い事がばれてしまった。そして今回は追う方の鬼になってしまった。  先ほどの六人の顔が思い浮かぶ。あの笑い声が脳裏に木霊する。悔しい気持ちが少女の演技にさらに磨きをかけていた。  見返してあげよう、と思う。足の遅い自分が捕まえて、驚かせて、そして今度は自分が笑うんだ。  その時、茂みの中に動く影を見つけた。始まってからまだそれほど時間が経っていない。良かったと思う。早くも見返せるチャンスが来たのだから。  走っていた足を止めて、上がった息を整える。その間も影からは目を離さない。息がある程度整うと、足音のしないようにゆっくりと影に迫る。そして茂みの中へと飛び込んだ。  茂みの影に隠れていた獲物は背後から突然現れた鬼にかなり驚いたらしく 「うううぉおおぁぁあぁぁぁ!?」  なんて変な悲鳴を上げるが、すぐに立ち上がって走り出す。対する姫沙の方は勢いよく飛び込んだために、茂みから出たところでバランスを崩してこけてしまっていた。  痛みが少し引いてから、身体を起こす。しかしその時には緑の海に溶けていく獲物の背中がうっすらと見えただけだった。  ……せっかくのチャンスだったのに。  どうして自分は運動オンチなのだろうか。もっと足が速かったらすぐに起き上がって捕まえられたのに。  そう思うと涙が出そうになった。でも  ……やっぱり悔しい。見返してやりたい。私のことを皆にわからせたい。  泣きそうな目を瞑って、腕で瞼を擦る。鼻水も腕で拭う。顔全体が真っ赤になったその姿はまるで赤鬼。少女の演技に、さらにリアリティを与える。 「泣かないもん!」  決意し、足を進める。緑の海の中へと。少女の役はまだ終わっていない。  広い座敷の中、一人の老人は相手が居なくなってからもまだ正座をしていた。鹿おどしだけが時間の経過を定期的な音で知らせてくれる。  老人は苦悩していた。孫の姫沙に話すべきか否かを。 「……」  答えの出ない思考螺旋の途中で老人は回想する。孫が小さかった時のことを。 老人は孫をたいそう可愛がっていた。孫が息子達と会いに来る度に村に伝わる伝承を話した。初めて話した時には孫は嫌がっていた。  ……おにってこわい。  言って孫はそっぽを向く。伝承を話し終える前に出た孫の感想がそれだった。  ……いやいや、鬼は怖いものじゃないんだよ。  ……だって、かおこわい。  孫の指さす先に視線を向けると鬼の面があった。二本の角と大きく開いた口の中に生えた牙。まさに恐怖を具現化したかのような姿をしている。  しかしそれを見た老人は孫へと振り返って、笑顔で言った。  ……見た目が怖いからこそ、色々な悪いものを寄せ付けないようにしてくれているんだよ。私達のためにね。だから鬼は、本当は優しい心を持っているんだよ。 するとそっぽを向くのを止めて、こちらの顔を見ながら  ……ほんとー?  ……ああ、本当だよ。  老人は孫の頭に手を伸ばし、撫でながら言った。  ……だから鬼には感謝をしなくちゃいけないんだよ。  村に伝わる伝承を多く知っている自分にとって出た鬼に対する結論。鬼とは決して忌み嫌われるものではない。だって人間の方がよほど酷いことをしてきたのだから。 頭を撫でられるのを嬉しそうにしながら孫は答えた。  ……うん、わかった。  それから老人は頭に蓄えた伝承を孫に語っていった。二回目からは話を聞く時の孫の目は輝いていた。  そこで回想は終わり。耳に鹿おどしの音が戻って来た。  老人は閉じた目を開けて呟く。 「……やはり」  伝えるべきだろう、真実を。例えそれがどんなにつらいことだったとしても。少女が背負うには重すぎる真実だとしても。  老人は立ち上がり、座敷を後にした。  色が変わりつつあった。上一面が青から朱へと。あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。 「はぁ、はぁ、はぁ」  姫沙はまだ鬼を演じていた。走り回って獲物を見つけることが出来ても捕らえることが出来ない。それの繰り返し。 しかも最後に獲物を見かけてからずいぶんと時間が空いていた。一向に見つからないのだ。 「はぁ、はぁ……」  足を止めて、適当な木に背を預ける。そのまま足の力を抜くとお尻が下がり尻もちをついた。  息を整える。そして膝を抱えた。 「うっ……っ」  思いが零れた。一度零れるともう抑えられなかった。泣かないと決心していたのに、泣いてしまっていた。 「うううっ……」  少女は思い出していた。  一週間前まで少女は都会に住んでいた。勉強はそれなりに出来たが、体育の授業だけは苦手だった。  恥ずかしがり屋な性格から、顔が真っ赤になることが原因でいじめられていた。  ──お前はすぐに顔が赤くなって、まるで赤鬼みたいだな。  ──暗いんだよ、人間に鬼が近づくな。  ──お? 怒った怒った。角生やしてみろよ、赤鬼。  祖父からの話で鬼の素晴らしさを知った少女にとって、鬼といじめられるのは苦痛だった。鬼を嫌い、こっちを見て笑う。そんな光景がフラッシュバックする。それに今日の六人の顔も入っていた。笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う。まるでこちらを見下しているように。 「うあぁぁぁぁあぁぁ……!」  声を上げて泣く。ここに来れば新しい友達が出来ると思っていた。でも違った。誰もが自分を蔑んで笑っている。私が鬼だから。  もう、疲れた。鬼を演じるのは疲れた。獲物は捕ることは出来なかったけれど、今日はもう帰ろう。 涙を流しながらぼんやりと空を見上げた。ぼやけて見える空は朱に染まっていた。その赤は濃く、まるで 「……なんだか、血みたい」  空が鮮血を噴いていた。赤く滲み、傷口は少しずつ広がっている。 「火事だ────っっっ!!」  叫ぶ声は六つ。どれも子どもの声。 「火事だ、火事だ────っっっ!!」  村中を駆け回る六名の子ども達。その異常を大人たちは察知し、声を掛ける。 「どうした?!」 「山火事だよ! 山で遊んでる時に木が燃えてるのを見つけて逃げて来たんだ!!」  気が動転している子どもの指さす方を見ると、空が血を噴いているのが見えた。大人は子どもに言う。 「君は、もっとたくさんの人に山火事が起こったことを伝えるんだ。わかったね?」 「でも、でも!」 「落ち着くんだ!」  子どもの肩を強く握る。 「君は山火事のことを皆に伝える、いいね?」  驚いた子どもの身体が震えた。しかし子どもは 「……うん」  ゆっくりと頷いた。 「よし、いい子だ」  言って頭を数回撫でて 「頼んだぞ」  子どもの背中をひとつ押して送り出す。走り出すのを見た大人は山火事の起こっているところを見つめ、呟いた。 「大災害にならなきゃいいけどな……」  泣き疲れた少女はいつしか眠りに落ちていた。  少女は夢を見ていた。鬼と共存している世界の夢を。有り得もしない幻想を。  少女は夢を見ていた。自分が鬼であり、人間を食らう夢を。有り得もしない空想を。  少女は夢を見ていた。真っ赤に燃える炎が全てを焼き尽くさんとするのを。虚構の中の現実を。 「──っ!」  少女は現実へと帰還する。そして目の前に広がったのは、赤と朱。次に温度を感じる。熱く焼けるような熱風が吹き荒れていた。 「何!?」  立ち上がって周囲を見渡すが、赤と朱しか視界に入って来ない。どこも炎の壁に覆われていた。  無意識に息が上がる。吸い込まれる熱風が喉を焼く。思わず倒れこみ、咳き込んだ。  何を間違っていたのだろう。何をしてしまったのだろう。どうしてこうなってしまったんだろう。様々な思考が飛び交って、それだけで頭がパンクしそうだ。 「ぁ……」  なんとか理性を保ち叫ぼうとしても、息をする度に喉が焼かれ声が出せない。それでも 「……ぁ……ぇ……」  たすけて、と唇で必死に紡ぐ。けれどそれははかなく散っていくばかり。頭も段々とぼんやりしていく。呼吸もし難くなっていく。  ……もう、死んじゃうのかな。  薄れいく意識の中で、まだ十歳の少女は死を覚悟した。  溢れ出る鮮血は勢いを増していた。血は溢れ出し、全てを真っ赤に染め上げていく。村人総出で、必死の消火活動が続くが全く効果は見られない。しかも 「姫沙ちゃんが居ないよ!」  子どもが叫んだ。六人の中の一人だった子どもだ。 「何だって!? 見当たらないやつが居るのか!?」  大人達が叫ぶ。  行方不明者がいるのか!? 他に安否確認出来ていないやつはいるか!? 火の勢いが強まってるぞ!! もっと水を回せ!! 追いついていない!!  混乱する村人達。その中で一人の声が響き渡った。 「私が探しに行こう。私の可愛い孫だからね」  一斉に声のした方へと向く。そこには老人が立っていた。 「私一人で行く」  歩き出そうとした老人を、しかし他の大人が制した。 「今、山へ入るのは危険です!」 「君は、孫を見殺しにしろと言うのかな」 「違います! あなたまで巻き込まれては被害を増やすだけだと言っているんです!」  言い合いをしている大人達。その二人を横に見ながら六人の子ども達は駆けて行った。 「なっ……!」  若い方の大人がそう言って駆けて行った子ども達の方を振り向く。その背後から老人の声。 「子ども達だけじゃ危険でしょう。私が彼らについて行きますよ」  若い大人の肩を叩いて老人は歩き出した。  少女が死を覚悟した直後、目の前の炎の壁が裂けた。突然のことで薄れていた頭が少しはっきりとし出した。上半身を起こして、炎の裂け目を見る。  ……助けが来たんだ。  死の覚悟から安堵へと変わる。けれど、理想と現実は違った。炎の裂け目から現れたのは 「……っ」  異形の怪物だった。五体があり、一見人間にも見えるがそれはまさしく異形だった。 身長二メートル半ほどの巨体に、獣を思わせるような鋭く長い爪。そして頭部には角が生えていた。これは  ……鬼?  恐怖よりも疑問が先行していた。どうして鬼が居るのだろう。どうして鬼が居るのだろう。どうして、どうして、どうして。  しかしその疑問も恐怖へと変わる。 「────!!!」  人間の声帯では出せない声が木霊した。怪物の咆哮。それと同時に異形の巨体が鋭い爪を構えて、こちらへと突進してきた。 「……!」  咄嗟の判断で立ち上がり走り出そうとするが間に合わない。駆け出そうとした時に残した右腕を怪物の爪が貫いた。  鮮血が舞う。痛みよりも先に衝撃が来て少女はその場に倒れる。赤い水溜りが広がっていくのとシンクロして、痛覚からの情報が脳へと伝達されていく。 「ぁ……ぁぁぁ……!」  口を動かすことしか出来ない激痛。右腕を抑えて震えているしか出来ない少女にとって怪物が今、何をしようとしているのかはわからない。  突然首を掴まれて持ち上げられた。息が出来ない。激痛で身体に力が入らない。 「──」  こちらを見つめる怪物は異端の声で言う。それは憎悪のように、怨念のように、呪いのように、憐みのように、助けを求める声のようにも聞こえた。  首を掴む腕の力が増す。何かが軋む様な嫌な音が内側から響いてくる。そして怪物は再び爪を構えて 「────!!」  左胸を突き刺そうとした瞬間、少女は声を聞いた。  何の声なのだろうか。少女にはわからない。けれど、それは優しくて温かい感じがした。  彼女はその言葉に従った。  空は真っ赤に染まっていた。燃え上がる炎は空が流した血液。傷口が開いてそこから溢れ出してくる。  止まらない血。塞げない傷。泣き叫んでいる空。何かがオカシイ?  鋭い爪が心臓を貫こうとした瞬間、少女の華奢で小さな左腕がそれを止めた。 「──?!」  怪物は驚いているようだった。なにせ、自身の何十倍もの太さの腕を少女が止めているのだ。  そして怪物は見た。少女の瞳に何かが宿っているのを。  咄嗟に伸ばした腕を引こうとしたが 「────!!!」  少女の声ならぬ声の咆哮が木霊すると同時に、怪物の腕が引きちぎられる。舞う赤い血飛沫。痛みよりも困惑している怪物。  無くなった腕を見たあとにもう一度少女の方へと視線を向ける。そこには少女が居るはずだった。  だが、そこに少女は居なかった。怪物が見たのは少女ではなく、角が生え、牙が生え、爪は鋭く伸び、何よりも殺気に満ちている自分と同類の怪物。  その姿はまるで……。 「────!!!」  怪物が叫ぶと少女だったモノが瞬間とも言えるスピードで怪物へと肉薄し左腕で巨人の腹を貫いた。鮮血が舞い、あたりは赤に染まる。怪物の動きが止まった。  それでも尚、少女だったモノは突き刺した左手を握り内蔵を引きずり出し、握り潰す。  それでも尚、少女だったモノは怪物に爪を突き立て、突き刺す、突き刺す、突き刺す。繰り返し。  返り血を浴び、真っ赤に染まった少女だったモノ。  怪物は辛うじて息をしている程度だった。真っ赤に染まった左腕が振り上げられ、速度に乗って振り下ろされる刹那 「ウラギリモノ」  そう聞こえた、ような気がした。怪物の言葉と同時に少女の腕が心臓を貫いた。  一際大きな鮮血の花が咲いた。  老人と子ども達は見ていた。炎の壁の向こうに異形の怪物が居たのを。 「鬼……」  老人が呟いた直後、鬼が咆哮した。そして鬼の目からは涙が流れていた。  それは自身が鬼であることへの嘆き故か。同類を殺したということの恐怖故か。憐み故か。  それは本人にしかわからない。  燃え上がる炎の中で真っ赤に染まった鬼は泣いていた。  ──伝承の一つを話そう。天蔵村に伝わる伝承の一つを。  その昔、人間と鬼は別々の世界で生活していた。しかしある時天変地異が起こり、二つの世界を繋ぐ門がこの天蔵村の地で一時的に開いてしまう。本来あってはならぬ世界の干渉だが、繋がってしまった門からは鬼が現れた。 鬼達は人間を殺戮し、貪った。恐怖を覚えた人間は知恵を使い、鬼達を滅ぼしたという。  以降、世界の干渉はなく鬼の驚異から人間は解放された。だが、その鬼の恐怖が人間の心から消えることはなかった。  そうして現在では、鬼は空想上の怪物となった。  ──『天蔵村鬼説伝承集』より抜粋。